人生という名の迷路

今日は日記に書こうと思っていたことがあったんですが忘れてしまいました。だから適当に書き始めますね。今日は休日でした。やらなきゃ行けないことはそれなりにあったんですが、気づいたらもう12位前ですね。本当にもうダメです。皆さんは地面に足をつけて歩いてないなと思う感覚はありませんか?私は結構そういう感覚になることが多いのですが、今は脳みそが浮いてる感じがします。フワーって生きてるなって感じですね。

 

私は大学生なのですが、サークルは四個ほど入りましたがどれも続きませんでした。まあ要するに大学生!って感じの生活とは全く関係のない世界で生きているんです。たまにあれ私って何してるんだろうと思うことあります。ダンスでもスポーツでもピアノでもまっすぐ向かってる人を見るとすごいなって思うし、自分もそうなりたいって思います。でもなかなかそうなれないのが現実で、あーあって思うことが多いです。こないだ自分の芯を持っていて頑張りたいことがある子に出会って、「好きだからそんなに頑張れるの」って聞いたことがありました。そしたら「好きとかいう感情はもうなくて、もうこれを無くしたら私には何もなくなっちゃうから」と話していました。私と同じ大学にいて、サークルにも入っていて、専門分野も見つけられてる彼女の言葉は私にとってあまりにも残酷なものでした(私はそもそも何もないのに、たくさんある人がこれがなくなると私は何もなくなっちゃうと言ってることへの違和感もあってですが)。「あー結局は失うことへの恐怖が人間を追い込み、その追い込みが成果につながるのか」と思いました。

 

基本的に私は上を目指していこうという感情が根本的になくて、視野を狭めることが少し怖い気がします。そんな自分にとって失うことへの恐怖は基本的にないのです。なんなら、一つものをただただ見つめて信じて進み続けることの怖さまであります。まあいろんなものを簡単に投げ出しすぎてきたのかもしれません。

 

いつかの受験の時に塾の先生が「今ここで志望校に受からなかったとしても、そのあと巻き返すチャンスはいくらでもある。でもここで怠けて自分を裏切ると一生自分を信じられなくなる。自分にはできないと思うことが習慣になり、頑張れない人間になる。そうやって人間は負け犬になるんだ。」正直今考えると私にとって他の人を負け犬と見ている時点でなんて視野が狭い人間なんだと思ってしまいます。でも頑張るためには下に行きたくない、上に行きたいと思うことが必要なのかもしれません。自分を追い込みたくない私は今野自分を正当化して生きているのかもしれません。

 

嫌ならやめればいいじゃん、辛いなら投げ出せばいいじゃん、しんどいなら逃げればいいじゃん、そういう言葉は自分への甘えに過ぎないのではないかと頭のどこかで考えつつ、みんな限界で生きてるんだ、自分だけ安心安全な場所で自分を正当化してていいのか思っているのでしょう。だから自分を持って自分を信じて進んでいる人は私にとっては怖い存在なのです。こんな自分が嫌だし、ダメだと思うけどそこでも何も変われない自分はやっぱり負け組なのではとどこかで思っているんでしょう。

 

自分を信じて進んでいける人間が羨ましい